私ただいま植物の(主に木)に携わる仕事をしております。
育休中ですがちょくちょく職場に行かせてもらっていて
日々育てている植物たちの成長や変化や生命力に感動している日々でございます。
先生と崇めている80過ぎのおじさまがおりまして
昨日本を貸してくれました。
会社で苗を育てたり景観を作る上で参考にしている
宮脇昭
という方にについて書かれた本だったのですが
先生が
ここ面白いからここから読んでみてー!
と言ってくださった章の一節が刺さったので要約でご紹介。
「いま大事なことは、植物の世界でも偽物が横行していると言ったが、本物と偽物を見分ける研ぎ澄まされた動物的な勘を養い、さらには十分な現地調査や現場体験を重ね、さらに本を読んだりして、知見と動物的な勘と人間的な知恵で本物と偽物を見分ける力をつけることが一番大事。計算は計算機がやってくれるし、測定も測定器がやってくれる。人間に残された唯一の能力は、自然が発している微かな情報から見えないものの全体をどう読みとって、問題が起きる前にどう対応するか。」
人間があるべき姿をまとめてくれてるきがした!!!
いろんな技術が発展して非科学的なことは信じてもらえなかったり
そーゆー「直感」とか「気」みたいなものについて
真剣に語ろうとすると変人扱いされたりする節があるけど
人間はそもそも動物で生きようと思えば本能で生きられるはず!
それが本来の姿。
でもこの現代でそんな生き方したらそれこそやばいから
折り合いをつけるべきなんやけど
その本能的な部分が排除されつつあるよね。
自然界でも例があってこの本で書かれているのですが
記録、実証主義が19世紀の科学で非常に進歩したけれども、自然や生き物や環境に対してはまだわからない要因がある。にもかかわらず、わかったものだけで、その要因をコンピューターにインプットして、シュミレーション・メソッドでこれが人間の生存環境なんて言うから、予測しなかった本のわずかな自然の揺り戻しや、浅はかな人知で予測できなかったものがちょっと多すぎても少なすぎても、極端にいけば人が死んだり、集団が破綻したりする。
本来日本の植生は主に広葉樹のシイ、タブ、カシ。しかし人間が火を使うようになってから森が破壊され、裸地になると広葉樹が出る前にマツがパイオニアとして生えてくる。2、300年ほっておくと本来の植生であるシイ、タブ、カシが生えてくるが途中で切ったり焼いたりすることで本来の植生ではないマツが増えていった。江戸時代には政府が税金を使ってスギ、ヒノキ、マツを植えた。戦後は政策として広葉樹退治をし、スギ、ヒノキ、カラマツの画一造林を進めた。手を加えて、整備するとよく育ってしまう。しかし、長持ちはしない。そもそもが広葉樹林帯であるところに植えたスギ、ヒノキ、マツは5、60年経つと、同じものだけを無理に植えているため子孫が残らない。しかし生物は必死に子孫を残そうと、生殖作用を行う。スギは花粉を飛ばす。でも根は浅いから天災でやられる。やられなくてもマツクイムシなど虫で枯れてしまう。
技術がどれだけ進歩したと思っても何か違和感があるって感じることは大切で
何か見落としていたり、全体が見えていないまま突き進むと
自然に戻ろうとする作用がどこかに起きるってことなんだろな。
過去に間違った人があかんとかそうではなく
気づいた時に正せるようになろう!
間違いを認められなくてそのまま誤魔化して突き進むのが一番良くない。
いろんなことに対して言えるよね。
植物の勉強してこういうところに気づいたりできるってほんと素晴らしい。
人間はやっぱり動物で自然と共存してるんだと実感。
そして先生の偉大さ。